基礎実習で、私は移乗介助中に患者さんの頭をベッド柵にぶつけてしまいました。
端坐位にして支えていたにもかかわらず、私は一瞬、手を離してしまったのです。
技術不足だったと言えば、それまでです。
でも時間が経って振り返ると、原因はそれだけではなかったと思っています。
なぜ、あのとき手を離してしまったのか。
そして、何が本当に足りなかったのか。
今日は、あの出来事を感情ではなく構造で振り返ります。
なぜ手を離してしまったのか
車椅子へ移乗する場面でした。
私は、自分の足と車椅子の位置関係が分からなくなりました。
「この向きで合っているのか」
「次はどこを支えるんだっけ」
確認しようとした瞬間、頭の中が混乱しました。
支えている意識が一瞬抜けた、そのタイミングでした。
患者さんはバランスを崩し、ベッド柵に頭をぶつけました。
大きな音ではなかったはずです。
でも、私の中では強く残っています。
その後のことは、正直あまり覚えていません。
先生に呼ばれ、聞き取りが続きました。
病棟の廊下で、感情が抑えきれず泣きました。
あのときは、「終わった」と思いました。
技術不足だけが原因だったのか
当時は、単純にこう思っていました。
「自分の技術が足りないからだ」
でも今振り返ると、それだけではなかったと分かります。
実習中の私は、常に緊張していました。
・間違えてはいけない
・評価されている
・怒られたくない
その意識が強すぎて、余裕がありませんでした。
予想外のズレが起きた瞬間、思考が止まったのです。
人は焦ると、知っている手順すら飛びます。
私は“できなかった”というより、
“冷静でいられなかった”のだと思います。
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学生が混乱しやすい理由
実習では、安全・技術・評価を同時に意識します。
その状態で少しでも想定外が起きると、
一気に思考が狭くなります。
私は、自分の立ち位置が分からなくなっただけでした。
でもその「分からない」を認める余裕がありませんでした。
止まって支え直せばよかった。
確認すればよかった。
それができなかったのは、
安全よりも「うまくやろう」としていたからです。
あの出来事が残したもの
あの経験は消えません。
今は、車椅子移乗で足の位置が分からなくなることはありません。
技術としては、もう迷うことはないです。
でも、あの出来事が残したものはあります。
それは、
「慣れたと思ったときこそ、一瞬立ち止まる」という感覚です。
移乗そのものはできる。
それでも、
・環境は整っているか
・自分の体勢は安定しているか
・患者さんの状態はどうか
必ず頭の中で確認するようになりました。
技術が上がったから安全なのではなく、
確認する習慣があるから安全なのだと、あとから分かりました。
学生時代のあの失敗は、
今の自分の安全意識の土台になっています。
今、ヒヤリとしたあなたへ
実習中の失敗は、強く残ります。
「向いていないのではないか」と思うこともあります。
私もそうでした。
でも、失敗と適性は別です。
混乱していた状態と、能力そのものは別です。
もし今ヒヤリとする出来事があったなら、
自分を全否定する前に、少し立ち止まってください。
何が起きたのか。
どこで思考が止まったのか。
そこを振り返ることが、
次の安全につながります。
怒られることが怖くなっていた時期の話は、こちらに書いています。
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